真の国際人へ 3つのステップ
留学を生かす
真の国際人へ 3つのステップ
勤勉さ、責任感、忍耐力、相手を慮る気持ち、技術力など、日本人は外国人と比べると長けているところが多いのに世界のリーダーシップを取れることが少ない。端的に言うとそれは、言語を含めて外国に慣れていないから。BBIは『生かせ日本人スキル』のキャッチフレーズの下、留学を生かした真の国際人育成のための3つのステップを提供しています。
体験談 ドイツ編
体験談 ドイツ編
学校の地域 | ドイツ フリートベルク |
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地域の人口 | 約2万8千人 |
学校の形態 | 市立ギムナジウム |
職員数/生徒数 | 90名/1500名 |
私が教えた学年 | 5年生~9年生 |
1週間の平均授業数 | 2回 |
学校の様子 | この学校は1543年に設立されました。音楽教育に特に重点を置いており、ドイツ文部省からも評価されています。シンフォニーオーケストラや合唱団にも参加しています。また、1980年以来、様々な種類の演劇活動も盛んです。10歳から20歳までの生徒達が勉強しています。日本語AG(課外活動)は8年前に設けられ、現在まで続いています。 |
半年間の派遣期間でしたが、あっという間に過ぎてしまいました。 はじめは、ギムナジウムという全く新しい環境、周りはドイツ人ばかり、自分は日本語教師の資格も持たないただの大学生の身、楽しみというよりかは不安要素がはるかに多かったです。 しかし、時が経つにつれて、慣れていきました。日本語授業以外の時間は、自分の授業にも生かせそうなアイディアを見つけるため、聴講していました(英語・ドイツ語・フランス語・音楽・数学・歴史・体育・芸術等)。聴講するときに、その先生と話したり、そのクラスの生徒と会話する機会も増え、次第にギムナジウムの環境に打ち解けていったように感じます。私は教育システムに興味があり、ドイツの学校システムについては把握していました。まさか実際にギムナジウムを訪れ、授業風景を見学できるとは思ってもいなかったので、貴重な体験ができたことに感謝しています。
普段の日本語授業と、学期末に行ったProjektで、私がこの半年間でやり遂げたかった事を全て実現できました。日本語の初級文法や、簡単な単語を教えることはもちろん、ジブリ映画を鑑賞したり、緑茶の試飲、あられの試食、折り紙、茶道、Projektではおにぎり作りもできました。周りの人からの様々なアイディアと、助けがあり、実現できました。
ギムナジウムでの体験だけでなく、この半年間で知り合えた人達との交流も忘れられません。この先も定期的に連絡を取り続けるつもりです。私が今度ドイツに行く際は、必ず訪れようと思います。また、彼らが日本に来た際は、私がぜひ案内しようと思っています。
前半の半年間よりも、多くのドイツ人と知り合うことができ、その人たち全てが親切心にあふれていて、非常に良くしてもらいました。無事にギムナジウムでの生活が終えられたこと、多くの人たちと知り合えたこと、私のドイツ滞在にあたり、サポートしていただいた方々に感謝の気持ちでいっぱいです。 ありがとうございました。
7時00分 | 起床 |
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7時30分 | 朝食(パン、ヨーグルト) |
9時10分 | 学校到着 |
9時45分~11時15分 | 午前活動 内容(ドイツ語、英語、音楽、歴史) |
11時35分~13時05分 | 午前活動 内容(ドイツ語、数学、フランス語) |
13時15分 | 昼食 (家で作ったサンドイッチや学校近くの知人宅でドイツ料理) |
14時00分~15時30分 | 午後活動 内容(日本語授業) |
18時00分 | 家到着 |
20時30分 | 夕食 (ドイツ料理、イタリア料理、アジア料理) |
00時00分 | 就寝 |
学校の地域 | ドイツ デュッセルドルフ |
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地域の人口 | 約58万1千人 |
学校の形態 | 市立ギムナジウム |
職員数/生徒数 | 70名/920名 |
私が教えた学年 | 8、9年生 |
1週間の平均授業数 | 11月から週2回ほど 補習 |
学校の様子 | 学校はデュセルドルフ市の緑が多く静かなオーバーカッセル地区の恵まれた環境にあります。1907年に開校された当時は女子校でしたが1974年から男女共学となりました。歩いて5分の距離にある姉妹校<デュッセルドルフ日本人学校>とは合同授業や交換会を行ったり、お互いの学校際には参加、出演しています。 |
デュッセルドルフは日本人が多く住み、住人たちも日本人と日本文化に対して、興味と寛容さで接してくれています。私が参加させていただいたギムナジウムでは正規に日本語の科目があり、日系人も多くいました。
学校ではいろいろなことを学び、体験しました。日本語の先生はチェコ人の先生と、日本人の先生。お二人ともとてもやさしく、いろいろ教えていただきました。去年は生徒の数が多くて、各クラスを半分に分けて、実習生の若い女性も授業を受け持っていたとか。今年は生徒数が少なく、私はだいたい見学と、かな、漢字や、練習問題にたいするアドバイス、対話練習の時の相手をしたくらいです。あとはチェコ人の先生が急病の時と出張の時に代わりに授業をしました。先生の授業でのドイツ語はとてもわかりやすく、こんなふうに説明するのかと納得するのですが、いざ自分が授業をする時にはうまくドイツ語が使えない。それでも9年生以上だとそれまでに習った日本語である程度はなんとかなりました。 また、秋休み前のテストで成績の悪かった8年生と9年生の生徒数人に補習授業をしました。それはとても楽しかったです。少人数なのでお互いリラックスして、練習問題も教えあって答えるので、よく理解しているものだと思っていたら、テストでがっかり。でもこれからも興味を持って、勉強をがんばってほしいです。
日本文化に対して、それぞれ生徒たちが調べ、発表する授業もありました。8年生は「和紙と折り紙」、「日本古来のスポーツ」、「武士」等々。9年生は「枕草子」、「鎌倉時代」等々。とてもよく調べていましたが、生徒のドイツ語は理解が大変でした。 びっくりしたのは、職員室で、特に決まった席はなく、生徒は入ってはいけないこと、教師と生徒のトイレは別など。職員室、各教室、トイレ兼用の鍵をもらいましたが、初めはうまく使えず、誰もいない時にこっそり練習しました。
ドイツ語に関してはいわゆる「移民のためのドイツ語」の講習を受けました。ゲーテのアカデミックさとはかなり違う、特に日常の手紙の書き方、履歴書の書き方など即役に立つものが多かったです。私も、保険会社へ医療費の請求の手紙や、銀行口座の閉鎖依頼などテキストをかなり参考にしました。また、いろんな国から移住してきたクラスメートとの交流は考えさせられることも多く、楽しく、とても勉強になりました。
サッカーの試合の日は臨時電車が数分ごとに走り、皆ビールをラッパ飲みしながらワッハッハ、ワッハッハと幸せそうでした。カーニバルの大騒ぎも楽しい思い出です。半年で帰らなければならなかったのは残念ですが、この経験を活かして、日本語教師としてがんばれたらと願っています。
5時00分 | 起床 |
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5時30分~6時30分 | 日本語予習 |
7時00分 | 朝食(パン、スープ、果物) |
8時00分 | 学校到着 |
8時00分~8時45分 | 午前活動 内容(9年生 授業) |
9時45分~11時30分 | 午前活動 内容(8年生 授業) |
12時00分 | 昼食 (パン、コーヒー、果物) |
14時00分~18時00分 | 午後活動 内容(ドイツ語講習) |
19時30分 | 家到着 |
20時00分 | 夕食 (パン、フライ、サラダ) |
20時30分~21時30分 | 日本語予習、ドイツ語予習 |
22時00分 | 就寝 |
学校の地域 | ドイツ ヴェルツブルク近郊 |
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地域の人口 | 約60万人 |
学校の形態 | 市立ギムナジウム校 |
職員数/生徒数 | 60名/750名 |
私が教えた学年 | 8a-c 、9a-c 、10a-c 、Q11、K12 、K13 |
1週間の平均授業数 | 週に1~2回の日本語の授業 |
学校の様子 | 2007年から日本語クラスが新設され、現在こちらの学校では9年生からの選択科目として日本語クラスが教えられています。日本語担当の先生についてのアシスタント研修となります。授業では日本語の他、日本文化等についても扱われます。日本語の授業まだ多くはありませんが、日本語のクラス以外にもその他のクラス(例:地理、社会、英語など)でのアシスタント参加が可能な学校です。 |
2月11日、朝9時の約束の時間に、派遣校(Gymnasium)の玄関ホールに足を踏み入れた時のことです。「ハロー、菊地さん、菊地さんですね!ようこそ!」。私を待っていてくれた日本語の先生の第一声(日本語)です。私の研修はこの一声から始まりました。その日から1年間、日本語クラスでの授業研修はもとより、英語や地理クラスへの参加、教員室での教師間の交流、生徒が取り仕切る自主企画イベントの鑑賞など、言い尽くせぬ、様々な貴重な体験をさせて頂きました。
その中でも、最も印象に残った体験は、先生の奨めで参加した、先生が担任をしていた英語クラスの課外研修でした。その課外研修は、学校から12キロほど離れたGemueden am Main という小さな町にある、「ハリーポッター」に登場したあのドミトリーによく似た施設で行われました。小枝や大きな木の葉を使った小屋作り、小川の上流で楽しんだビ-バー狩り、懐中電灯を手に星空を眺めながら歩きまわった深夜の散策、また最終日のキャンプファイアーなど、低学年のかわいい生徒たちと楽しく愉快に過ごした、夢のような2泊3日の課外研修でした。
また、高学年の年中行事への参加も、忘れられない体験でした。ドイツの忌わしい歴史を後世に末永く伝えようと、ニュルンベルクやワイマールに建造されたヒットラー関連のメモリアル施設への研修旅行です。この旅行への参加を通して、あの世界大戦は、人類がその歴史に残した永遠に消し去ることのできない汚点であることを、あらためて思い知らされました。このように、私のドイツ滞在は、日本語教師としての研修にとどまらない、幅広い学習と掛け替えのない体験のできた、実り多い1年間でした。
5時00分 | 起床 |
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6時00分 | 朝食 メニュー(トースト、サラダ、牛乳) |
9時00分 | 学校到着 |
9時00分~12時00分 | 午前活動 内容(教案・教材作り) |
12時00分~13時15分 | 昼食 (サンドイッチ、コーヒー) |
13時15分~14時00分 | 午後活動 内容(動詞文 / 自動詞) |
14時15分~15時00分 | 午後活動 内容(動詞文 / 他動詞) |
16時30分 | 家到着 |
18時00分 | メニュー(スパゲッティー / サラダ / ポテトスープ) |
23時00分 | 就寝 |
学校の地域 | ドイツ フランクフルト市内 |
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地域の人口 | 約67万人(フランクフルト) |
学校の形態 | 市立ギムナジウム校 |
職員数/生徒数 | 80人/1,000人 |
私が教えた学年 | Year9~13 |
1週間の平均授業数 | 22 lessons |
学校の様子 | 1520年創立の歴史のある、市立のギムナジウム校。1969年には、バイリンガル教育が始まり(ドイツ語-英語)ヘッセン州及びドイツ連邦共和国においてバイリンガル教育導入の最初の学校です。 |
知人が全くいなくアパートで一人暮らしだった私にとって、人とのコンタクトを求めて外へ出る最初の一歩は勇気のいるものだった。しかし、独日協会の定期的な集まりに参加をする事をきっかけに年齢関係なくドイツ人や日本人と知り合い、初めて言った際に偶然にも大変親日家のドイツ人親子、彼らとの出会いからドイツ語でのコミュニケーションの楽しさや自分から行動をする大切さに気が付いた。また、そのStammtisch(集まり)を通しフランクフルトで行われた新年会・雅楽公演・「JapanTag(日本デー)」のお手伝いなど様々な体験をする事もできた。
また、日本語を学ぶ生徒たちの笑顔は何より私の元気の源であった。もちろん彼らと打ち解けるまでにはかなりの時間がかかったが・・・。生徒でも先生でもない私とどう接していいものか生徒たちはとまどったはずである。最初の数ヶ月、彼らとの大きな溝をどうしたら少しでもなくす事ができるかと考え、今回の目的ある『日本語アシスタント』としてのお手伝いと言う事よりも、まずは生徒とのコミュニケーションを優先にした。毎朝、必ず、「Hallo こんにちは!」と声を掛ける様にしたものの返してくれない生徒がほとんど。けれども諦めずに毎日続けていると少しずつ生徒も挨拶を返してくれるようになり、次第に廊下や町であったときにも声を掛けてくれ、授業でも彼らの方から質問が出るようになった。
12年生の生徒からは、『授業以外で私と話す機会を作って欲しい』と言う意見があり週一回のOrul Communicationが始まった。しかし、そうは言っても思っていた以上にむずかしく、毎回何かテーマを決めて話をしたが、話しが続かない事やテーマを考えられずに終わってしまう事もあり、最後まで四苦八苦した。それでも、この時間を設けたことで、生徒を知るまたは私を知ってもらう良い機会だったと感じます。
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